新しい年が始まりました

今回も、18才か20才かよくわからない成人式が終わり、受験の季節へ

大学入学共通テストの受験率が高3生全体の45%という記事を見ました

一方、少子化にもかかわらず、大学・短大への進学率は約6割まで上昇したそうです

 

つまり、私大進学者の共通テスト利用者が減少。また、学力テストを課さない総合型や推薦入試での進学者が増えているから…とのこと

 

読者の皆様は、この現象をどう思われますか?

 

18才はもう大人

資料や図表から必要な情報を読み取る読解力、思考力、表現力などの社会人基礎力の一部が高校卒業年度に受ける共通テストで測られるのは当然のこと。

 

大人になる準備を整える、という高校教育の使命を考えれば、大学進学を希望する受験生だけでなく、すべての高3生に、国としてつけたい力全体への卒業試験を課すのが筋だと思いますが、残念ながら日本にはそういう仕組みがありません。

 

せめて、大学進学希望者だけでも、全員が共通の卒業試験を受け、自身の修得度を自覚し、伸長への継続的な学びと努力を続けること、実現できないものでしょうか

後に続く者たちに学び続ける姿勢を見せることが、大人の当然の自覚、とされる国になればと願います

 

さて、この次代を育てる学校教育という国の根幹を支える「教師」という大事な職業が、危機に陥っています

新聞記事によれば、志願倍率は年々低下を続け、産休や休職に入る先生の代わりを確保、配置できず、欠員が生じる公立校が増えている、とのこと

 

対策として、教員採用試験の早期化や、いわゆる働き方改革による負担軽減・待遇改善、社会人からの採用など外部人材活用の促進、等があげられていました

 

この教師の養成、採用、育成は関心領域なので、日々いろいろ考えます。ここでも、いつもの対症療法的な考え、対策が多いと感じます

上記の取り組みは、もちろん、やらないよりもやったほうがいい。でも、根っこにある構造問題への対処が考えられているとは思えません

 

私が考える構造問題は、下記3点です

 

・未だに、学生採用の一年目から、一人前の教師の職務が務まると考えている

 

・そのため、一般の企業や公務員など他の職種では当たり前の、数年かけて一人前にする発想がない。学校全体に人材育成という発想自体が乏しく、機能しない

 

・「先生」という呼称にふさわしい、社会人としての人生経験が、教師の要件になっていない

✳︎よくも悪くも社会人経験を積んだ保護者から、「先生」にふさわしい人物とは見なされない

✳︎大学進学者が少数で、師範学校的な養成機関を卒業=即先生、で通用した時代の感覚、制度、構造をいまだに引きずってる

 

教員養成、採用、育成のあり方は、既に社会実態と不整合となっている。窮状を打開するには、抜本的に新しくするしかないと考えています

 

今後、私自身の最重要テーマとして、構造問題による“教師の再魅力化”に貢献したい

新しい年の始めに、考えたことです

一日一日、積み上げていきます