こんにちは。コアネット教育総合研究所松原和之です。

先日、熊本大学教育学部准教授の苫野一徳先生の講演を聞く機会がありました。タイトルは「哲学的思考とは何か?」です。苫野先生は哲学、教育学を専門にされており、私は数年前に著書「どのような教育が『よい』教育か」を読み感銘を受けたことを覚えています。

この日の講演の内容は「哲学的思考とは何か?」ということで、哲学的思考の基本を教えてくれました。

その中でも、哲学的思考以前の大前提として気を付けることとして2点話してくれたことが面白かったので紹介します。

1つは「一般化のワナ」という話です。人は基本的に自分の経験をもとにして話をします。気を付けなければいけないのは、自分の経験を過度に一般化して、まるでそれが絶対に正しいことであるかのように主張することです。

確かにそういうことはよくあります。特に、「教育」の問題については、みんな自分が受けたり、自分の子どもを受けさせたりという経験が必ずあります。そこで一般化のワナに引っ掛かりがちです。

教育の審議会などでは識者と言われる方々が自分の経験をもとにして持論を繰り広げます。私はそのような会議の議事録を読んで辟易とすることがあります。「私は塾などには通わずに大学に合格したので塾はいらない」とか「私はどんな授業でも能動的に参加していた。アクティブ・ラーニングなど工夫する必要はない」というような話です。「あなたは立派だからそれができたかもしれないけれど、みんなができるわけではないですよ」と言いたくなることがしばしばあります。これが一般化のワナというわけです。

苫野先生は、一般化のワナということがあることを自己認識していることが大事だと言っています。自分の経験を話す前に「一般化のワナに掛かっているかもしれませんが」と前置きするだけでも聞いている方は安心するとのことです。

2つめは、「問い方のマジック」という話です。「教育は子どもの幸せのためにあるのか? それとも社会の発展のためにあるのか?」というような二項対立の質問の仕方がそれです。こう問われると、聞いている方は「どちらかが正しいのではないか」と思い込んでしまいます。ところが世の中には、どちらかが絶対に正しいなどということはほとんどありません。どちらも正しかったり、どちらでもない3つめの答えがあるかもしれない。そういう可能性を消し去ってしまうマジックなのです。

苫野さん曰く、哲学的思考の目的は、共通了解を作ることです。どんなことにも絶対的な真理などありません。問題の本質について議論することで、みんなが納得いく共通了解を作り出すことが大事なのです。

「教育はどのような意味において子どもたちのためにあり、またどのような意味において社会のためにあるのか?」

このような問いであれば、一定の共通了解に近づけるのではないでしょうか。

さてさて、哲学的思考の話はここから始まります。

でも、私がすべてネタばらしをしてしまってはよくないでしょう。ぜひ、またどこかで苫野先生のお話を聞いたり、ご著書を読んでみてください。

哲学って、難しそうに聞こえますが、とても楽しいですよ。