こんにちは。コアネット教育総合研究所の松原和之です。

新型コロナウイルスの感染拡大が続いています。外出自粛はだいぶ意識され、休暇や在宅勤務も多くなってきているようです。家にいる時間が増えて何をして過ごしてよいのか悩んでいる方も多いと聞きます。

私も在宅勤務をするようになりました。私は通勤時間が往復4時間かかることもあって、在宅勤務をすることでだいぶ生活が変わりました。この4時間をどう使うかで有意義に過ごせるかどうかが決まります。朝はこれまでと同じ時間に起きることで、2時間早く仕事を始められます。帰宅の時間が2時間早まることで、私生活に余裕が出ます。
もちろん、休みの日には外出をしませんので、家で過ごす時間がとても増えています。
そのお陰で色々と考える時間がとれます。

17世紀にペストという感染症がヨーロッパを中心に流行しました。その影響でロンドンにあるケンブリッジ大学が閉鎖され、そこで学んでいたアイザック・ニュートンは、長期間故郷に帰らざるを得なかったそうです。しかし、そのゆっくりと考えたり研究したりできる期間中に万有引力の法則の着想を得たそうです。そう、あのリンゴが落ちるのを見て気が付いたというやつです。

私はこの余裕時間で、ある本を読みました。本棚の奥の方で埃を被っていた夏目漱石の「三四郎」です。昔読んだ本を捨てずにとっておいたものが目に付いたのです。なんとなくあらすじは覚えていましたが、詳細は忘れていて、改めて夏目漱石の筆力に感心しながら読み進めました。

その中にこんな一節が出てきます。

翌日学校へ出ると講義は例によってつまらないが、室内の空気は依然として俗を離れているので、午後三時までのあいだに、すっかり第二の世界の人となりおおせて、さも偉人のような態度をもって、追分の交番の前まで来ると、ばったり与次郎に出会った。
「アハハハ。アハハハ」
偉人の態度はこれがためにまったくくずれた。交番の巡査さえ薄笑いをしている。
「なんだ」
「なんだもないものだ。もう少し普通の人間らしく歩くがいい。まるでロマンチック・アイロニーだ」

与次郎は主人公三四郎が通う大学(現在の東京大学)の友人です。三四郎がさも偉人のような態度で歩いていたら、与次郎がそれを見て「まるでロマンチック・アイロニーだ」と言ったというシーンです。

このシーンの少し前には、三四郎が自分の人生について3つのオプションをあげて哲学的な思索にふけっている場面がありました。「すっかり第二の世界の人となりおおせて、さも偉人のような態度をもって」という表現があるのは、そこからの続きで、第二のオプションであった、貧乏だが研究者として偉人となるという選択肢を思索しながら歩いていたところを与次郎に見られてしまったということだと思います。

「ロマンチック・アイロニー」とは、あまり聞いたことのない言葉でしょう。三四郎もその場では、その言葉の意味が分からなかったようです。

その晩取って返して、図書館でロマンチック・アイロニーという句を調べてみたら、ドイツのシュレーゲルが唱えだした言葉で、なんでも天才というものは、目的も努力もなく、終日ぶらぶらぶらついていなくってはだめだという説だと書いてあった。

この文章から分かる通り、「ロマンチック・アイロニー」というのは、天才かどうかは別としても、何もせずにブラブラしている時間が思索を深め、人生の深みを形成しているという意味なのだろうと推測できます(すみません、原典にはあたっていません。夏目漱石の小説だけから推測したことです)。

つまり、ニュートンが故郷でブラブラ(してたかどうかは分からない)したからこそ偉大な発見もしたし、ドイツの思想家が言うように何もせずにブラブラして思索を深めるからこそ天才的な発想が生まれる、ということなのです。

現在の状況は、ウイルスによる生命の危機や経済的な打撃もありますが、一方で、期せずして生まれたこの余裕の時間を、この先の生き方を、自分の人生を考える時間にできる豊かな期間なのかもしれません。

「うちで踊ろう」と愛犬を撫でながら優雅な生活をするのもいいですが、せっかくの時間を使って哲学的な思索にふけるものいいのではないでしょうか。

にわかロマンチック・アイロニーのすすめです。