こんにちは。コアネット教育総合研究所の松原和之です。
「阿武咲」と書いて何と読むでしょうか?
答えは、「おうのしょう」。いま大活躍している21歳の相撲取りの名前です。
先週末に終わった大相撲秋場所において、10勝をあげ、新入幕から3場所連続2桁勝利という、若乃花も白鵬も成し得なかった歴代初の快挙を成し遂げました。
今場所で敢闘賞を獲得し、来場所には三役の可能性もあるとのことです。
阿武咲は青森県出身。子どもの頃から体格が良く、相撲を始めてからは地元では敵なし。高校生の時に思い立ち、卒業を待たずに角界にチャレンジしました。
阿武咲は、東京に出ていく時に、育ててくれた父親やお祖母ちゃんにこう言ったそうです。
「十両になるまでは、青森には帰ってこない」
東京に出て成功しなければ故郷には戻らない、家族にも会わないという覚悟で挑戦したということでしょう。
そして、初土俵から快進撃を続け、故郷を出てから2年と数か月で十両入りを決めました。そして、凱旋。大好きなお祖母ちゃんに、成果を報告したそうです。
TV番組でこのエピソードを聞いた時、若き日の野口英世の話を思い出しました。
福島県の貧しい農家に生まれた英世は幼い頃に誤って囲炉裏に落ちて左手に大やけどを負います。16歳の時にやけどの跡が残る左手の手術を受け、それをきっかけに医学に目覚めます。そして、20歳の時、周りの人々の援助を得て、医学を志して上京しました。
その時に、生家の柱に刻んだ文字が今でも残っています。
「志を得ざれば再び此の地を踏まず」
上京以来、世界を飛び回り医学の研究と実践に明け暮れた英世が故郷の地を再び踏んだのは20年後、40歳になってからでした。
無学のため文字を書くことも儘ならない母親からの会いたいと熱望する手紙を受け取り、改めて親不孝に気づいた英世は米国から帰国し、母に再び会うことになったのです。
「故郷に錦を飾る」立身出世の物語は、いまの世の中では古くさいのかもしれません。
しかし、若い頃に何かを志し、不退転の気持ちでチャレンジする。そんな人生もカッコイイと思いませんか。
変化の激しい時代にあって、将来のことなんて誰にも分かりません。目指した目標自体が10年後にはなくなっているかもしれません。それでも、何かを目指すことによって今湧き上がるエネルギーやパッションが大事なのではないでしょうか。
キャリア教育という言葉を使うまでもなく、何かに熱くなる、そのこと自体が大切なことなんだと思います。