こんにちは。コアネット教育総合研究所松原和之です。

先日、ある私立中学校に通う中学3年生の男子からメールで質問がありました。
「いま卒業論文を書いているので質問させてください。 グローバル教育の歴史について調べています。特に、グローバル教育の概念の始まりについて詳しく教えてください。」
という要旨の質問です。

コアネット教育総合研究所で「G-Edu」というグローバル教育に関する情報サイトを運営していますので、そこからの質問でした。これまで学校の先生や保護者からの質問は多くあったのですが、中学生からというのは初めてかもしれません。

本当は、直接会って、質問の真意を確かめた上で、論文内容に資する形で回答をしたかったのですが、外出や出張も多く対応できそうになかったので、メールで回答する形にしました。
(中学生本人も夏休みが終わるまでに何とかしたい、という要望だったこともあり)

私が彼に回答したのは、以下の通りです。

 

「グローバル教育」という言葉は、学術的にも公文書的にも明確な定義がない言葉です。文部科学省は、公文書で「グローバル教育」という言葉は使っておらず、「グローバル人材の育成」という言葉を使っています。従って、この言葉の起源を探索する方が有意義なのではないかと思います。

2011年5月、当時の新成長戦略実現会議の下に関係閣僚からなる「グローバル人材育成推進会議」が設置されました。その中間まとめが2011年6月に発表され、この時が公的に「グローバル人材育成」という言葉が明文化された最初だと思います。
ただし、産業界と学術会の連携でグローバル人材育成について検討した「産学人材育成パートナーシップグローバル人材育成委員会」がそれ以前に設置されており、その報告書が2010年4月に出ています。

もともと、「グローバル教育」の原型は、「国際理解教育」という名前で古くから推進されてきています。それは、1974年のユネスコによる「国際理解、国際協力及び国際平和のための教育ならびに人権及び基本的自由について教育に関する勧告」を受けて、国際平和の文脈で始まっています。それ以降、日本でも「グローバル化」や「グローバリゼーション」という言葉が使われるようになっていました。

しかし、1990年代に世界規模の経済活動が活発になり、「グローバル」が経済的な用語として使われることが増えると、「グローバル人材」も産業界主導の用語になり、文部科学省もどちらかというと産業界で活躍できる「グローバル人材」を育成するための教育(=いわゆる「グローバル教育」)という使い方をするようになってきました。

ここからは、私の個人的意見ですが、
現在、中学校、高校や大学で言われている「グローバル教育」については、2つの方向があると思っています。ひとつは「産業界で国際競争に打ち勝つための資質・能力を育む教育」。もうひとつは「国際平和のために国際協力活動などができる資質・能力を育む教育」です。
どちらが正しいとか、どちらが良い教育かということは決められません。多くの学校が前者の考え方を持っていますが、例えば、キリスト教の考え方を基本にする私立学校などでは後者の立場をとっている学校が多いと思います。

あなたが今書いている論文において、「グローバル教育」をどう定義づけているか分かりませんが、それはあなたの意見で構わないと思います。

私がアドバイスできるのはここまでです。
参考になることがあれば活用してください。

それでは、卒業論文がより良いものになることを願っています。頑張ってください。

コアネット教育総合研究所所長 松原和之

時間もなかったので、あまり良い回答になっているとは自分でも思っていないのですが、なんとか質問があってから直ぐに答えられる範囲で答えました。

本当は、彼の論文の中身に興味があります。
どんな問題意識でこのテーマを選んだのでしょうか。彼の仮説は何で、それをうまく検証することができたのでしょうか。
でも、あまり論文そのものに加担すると、学校の先生に怒られそうですから、やめておきました。

素敵な論文が出来上がることを祈っています!